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2016-05-07

「映画レビュー」について考えた

 某podcastで映画レビューを聞いていた父が「このレビューじゃ見る気にならんなぁ」と呟いていたので「公開中だからネタバレを避けようとしたら“面白い”くらいしか言えないんじゃないの?」と返したところ、いやいやそうじゃなくて…という話になった。父曰く「その人がどこをどう面白いと思ったのかを言わないと、面白かったでは参考にならない」。

 そこで考えてみたのだけれど、私はこれまで「この人は映画を沢山見る人だし、その人が面白いと言っているのだからその映画は面白い映画なのだろう」という風に、ラジオやpodcastで聞く映画レビューを受け取っていた。そして、当たり前に前提としてあるはずの「面白いは人それぞれ」ということを失念していたのである。

 Aさんは○○という映画を面白いと思った。

 Bさんは○○という映画をつまらないと思った。

 そんなのは往々にしてよくあることで、好みの問題だから仕方の無いことなのだ。

 赤の他人の「面白い」なんて何の判断基準にもなりはしない。

 見終えた後に「時間を返せ」と言ったくらいクソ映画だと思っているあの映画、そう言えば続編が公開になってたなぁ。私はアレを誰にも勧めないけれど、私がそれくらい面白くないと思った映画を、面白いと思う人がいる。人に勧めている人もいるだろう。もしかしたらそれが、年に何十本も映画を見ている文化人かも知れなくて。でも、たとえそうだったとしても、やっぱり私の評価は「二度と見ないクソ映画」から変えられはしないだろう。

 そんなもんなんだ。それでいい。だって人それぞれだ。

 だから、レビューで大切なのは「その人がどうしてそれを面白いと思ったのか」なのだ。

 アクションシーンが多くて楽しい

 あまり盛り上がりが無いけれどリアルな日常を切り取っている感を見ていたい

 下品な言葉だろうがとにかく頭空っぽな状態で笑わせてくれる

 などなどなど…。

 その人がなんでその映画を面白いと思ったのかが書いてあって初めて、ああ、私もアクションシーンが好きだからこの映画を見ようとか、はちゃめちゃな娯楽作品が好きだからリアルな日常はちょっとな…とか、レビューを参考にすることが出来るのだ。

 家族や気の合う友人くらいでないと、他人の面白いをまるっと鵜呑みには出来ない。私は友達に勧められた映画やアニメなんかを面白くないと思ったことはないのだけれど、それは感性が似ているということの証であり、また、感性が似ているからこそ友達になれたのだと思うと、なんだかいろんな事が腑に落ちた。

 そして、映画レビューと言うものの在り方を考えたからと言って、今後の私が誰かの参考になる映画レビューをするかどうかは、また別の話なのだ。