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2021-05-28

推し、燃ゆ

先日DMMブックスで「初回購入限定最大100冊70%オフ」のキャンペーンをやっていた時に購入した本の内の一冊が「推し、燃ゆ」でした。

発売当初ツイッターで流れてきた冒頭の試し読みをして「おもしろそ~」とか思ってるうちに忘れて、芥川龍之介賞受賞で話題になって思い出して忘れて、70%オフの機会がきてやっと手にするという腰の重さ。結局DMMのキャンペーンではこれと「僕の人生には事件が起きない」と漫画数冊くらいしか買わなかったし、読書筋の衰えをひしひしと感じます。

でもそんな読書筋の衰えた私でもダレることなくめちゃくちゃサクサク読めました。文章のテンポは好き、言葉選びや言い回しにも親しみが沸くし、端々に共感もした。ただ、冒頭がすごく好みだっただけに途中からのストーリー展開が期待していたのと違って、読みたかったのはこういうラストじゃないんだ…とか。

“推し”がどうこうというより、主人公が抱える問題がメインになっていくストーリー。しかもその問題が解決しないまま終わるからしんどい。いや、実際のところ主人公の抱える問題は「発達障害」とかそういった類のもので、”解決”なんかないのかもしれないけれど、それに対して彼女や彼女の家族がどう向き合っていこうとしているのかよく分からないまま終わるのがもんやりとする、というか。ただでさえ主人公は生き辛さを抱えているのに、推しまで燃えてどうしたらいいんだっていうしんどさ。

主人公の推し方はとても共感出来て好き。現場では有象無象のファンでありたいとか、推しを解釈したいとか。言葉や視線の一つひとつに意味を見出して、膨大な情報を出来るだけ集めて蓄積させて、推しはこういう人なんだって解釈する。想像する「彼ならこういうときこう言うんじゃないか」という言葉が、彼の口から発せられた時の快感。

でも主人公は推しが「ファンを殴るとは思えなかった」。推しはファンを殴った(と報道された)けれど。

どれだけ解釈したってそれが全部じゃないんだ。だって私たちは推しの「ファンに見せていい部分」しか見せてもらえないんだから。だからと言って無理やり暴きたいわけじゃない、そっち側が知りたいわけでも。ステージの上と客席、モニターの向こうとこちら、いつだって推しとの間には明確な壁が欲しいと私は思う。