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2016-10-10

名前を間違えられる話

 私の苗字は間違われやすい。読み方が難しいとかではなくて、単純に“聞き間違え”られやすい。

 例えば私の苗字が「内田」だとして、まぁ大体の人が一度「淵田」を経由する。淵田経由内田。「内田です」「淵田様ですね」「あ、いや、うち、です。内外の内…」「ああ、内田様ですね。失礼いたしました」何回やるんだこのやり取り。たぶん五万回はやったぞ。

 でも、間違われるのもわかる。ウチダとフチダ、最初の一文字が違うだけだし、なんといっても母音が同じだ。

 仕方のないことなのだ。それに、あれこれ言ったあとでは説得力も薄いけれど、私は名前を間違われることを不快だと思ったことは一度もない。

 別に淵田と呼ばれ続けたとしても、それが私のことだとわかるならそれでいい。名前なんて記号だ。なんなら私は中学3年間美術の先生に淵田と呼ばれ続けていた。別に訂正なんてしなかった。

 口頭で名乗った時、電話口で名乗った時、それはもう数え切れないほど「淵田」に間違われてきた。もう最初から「淵田」と名乗ってやろうかと思うくらいには。

 ところが、である。間違われ慣れている私でさえおっと思うことがあって、私はいよいよ首をかしげている。何かというと、聞き間違えようのないメールやLINEでも名前を間違われるようになってきたのだ。(何度も言うけれど私は別に怒っているわけではない。ただ純粋に不思議に思っているのだ。)

「いつもお世話になっております。○○の内田です。」と冒頭に書き、文末に「○○ 内田」と書いたメールの返信で「○○ 淵田様」と書かれる。

 なんならこの前は一つのメールに内田と淵田がいた。誰なんだ。なんで増えたんだ。打っていておかしいとは思わないのか。

 一度私のことを「淵田」だと思った人は、私がメールに書いた「内田」さえも「淵田」と読んでしまうのだろうか。人は見たいようにしか物を見ないとか、そういう話なのだろうか。思い込みか~思い込みな~~~。まぁわかるけど。私も「これロキソニンだよ」って言われながら渡されたら、それがたとえラムネであっても頭痛治るんじゃないかと思うもん。プラシーボ効果すごいよね。いや違う。そういう話じゃない。さすがにラムネはわかります。(そういう話でもない)

 そんな私から送る本日の教訓は【メールを返信する時、相手の名前はコピペするが吉】。現場からは以上です。